「五体不満足の伝道者」 ニック・ヴォイチェチ師

 オーストラリア人の牧師家庭に生まれたニック・ヴォイチェチさん(28)には、生まれつき腕も足もない。学校でよくからかわれたニックさんは、神が痛みを取り去ってくれないなら自分で取ってやると、10歳で自殺未遂をする。お風呂で水に潜るが、自分の墓の前で泣く両親の姿が思い浮かび、思いとどまる。
 ニックさんは13歳のとき、一生寝たきりでありながら、人の役に立つことをしている人物の記事を読む。それに励まされ、自立して、自分の人生を他の人々を勇気づけるために使おうと決心した。彼は大学で会計学と財政プランニングの学士号を2つ取り、19歳の時、不動産への投資もした。そして、講演活動を通して世界37ヵ国で福音を伝えている。
 「私は手足がないことをもはや嘆かない。なぜならば、既に勝利が与えられているからである。神が『否』といわれるときにも、神の恵みを信じるからである。神は、手足を求める私の境遇は変えてくださらなかった。しかし、境遇が変わらないからといって、喜びを敵に奪われてはならない。人生で倒れてしまったとき、私たちは神に祈り、神と話し、助けを求めることができる。どんな状況に置かれていようとも、神はそれを知っておられ、共におられ、あなたを抱きしめ、起き上がる必要な力を与えてくださる。コリント第二12章9節に『わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ』と書かれているとおりである」とニックさんは言う。手足がなくとも、こんなに多くの人々に信仰と希望とを分け与えることのできる人生が、恵みなのだ。
 自分にとって障害は、手足がないことよりも、罪悪感と恐れであったという。「罪悪感や乗り越えることのできない後悔の念を、自分の力で解決しようとするか、イエス・キリストの力で消し去っていただくかのどちらかである。神は、罪を悔い改める者には赦しを与えてくださる。神は既に最大の贈り物、命と十字架の救いを与えてくださった。この世の終わりにどこに行くかが分からないなら、手足があっても何の役に立つでしょう。また、どんなにお金があっても、自分で自分のした失敗をゆるすのにも役立ちません。自分を傷つけた人をゆるす力をも与えてくれません。私は、生きている者の中で自分が一番豊かだと思っています。私には、愛があります。喜び、平安、安息、目的があります。神さまが手足をくださらなかったことを、今は感謝しています。なぜなら、神さまのご計画が分かったからです。手足のない者に素晴らしいご計画を神は持っておられるのですから、手足のある人々にも、神はご計画をお持ちです」とニックさんは語る。
御翼2011年5月号その3より

 
  
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